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2017年11月03日

文芸誌の皆様も

十一月は菊の季節である。それに因んだお話をしたい。

 1977年から85年まで僕は東村山市にある国立ハンセン氏病療養所の多磨全生園に、そこに住む元患者の伊藤まつさんというおばあさんとの交友の為に行っていた。十一月の文化の日のあたりに、そこでも文化祭が行なわれるため、まつさんに招待される形で何回か行った。まつさんは絵や短歌を創っていたので、その展示もあったが、僕が印象に残っているのはかなりの元患者さんが一年掛けて育て上げた菊の花の展覧会・品評会である。実に様々な菊の花があったのを覚えている。大輪の菊。管物状の花の菊。小さい花が一つの草に何十個も付いた菊。色も様々。黄色もあれば、紫もある。赤に近いオレンジ色も、白も。「見事!」と言うしかなかった。

 菊は冬から一年近く掛けて育てるわけである。毎日の水やりはもちろん、適量の肥料を与えたり、害虫から守る事や、無駄な枝葉の切り落としと非常に手間を掛けなければ、見事な菊の花にはならないわけである。それ故に、作った元患者さんたちの「根気」も察せられる。それぞれが感動の作品である。

 若い時の僕も、例えば、東村山市とか多摩地区の菊花品評会や菊花展に一般の人たちと一緒に出品できないだろうかと思った。今の僕はもっと大きく、その様子をテレビ中継して、日本全国に報道すれば、非常に素晴らしいと思っている。多磨全生園に行けるような人たちは地域的に限られているわけだし、それをカバーする事もマスコミの仕事なのだから。この文芸誌の皆様も、パソコンなどをお持ちの方は「多磨全生園」と検索して、調べてみて下さい。

 尚、伊藤まつさんの事は改めて書く事もあるでしょう。

 

  ネット関係への追伸ですが、全生園の菊花展の画像を検索しましたが、それは見つかりませんでした。でも、時期外れですが、全生園の見事な桜はあったので、皆様にもこれからお見せします。昔から全生園の元患者さんたちは東村山に住む住民と活発に交流していたようですが、今は更に盛んに交流しています。ハンセン氏病の問題を受け止めるにしても、近所付き合いの一環としてやれなければまともな理解はできないわけですね。作家の遠藤周作氏が著作の中で遠方の人が慰問する様子を淡々と描いていますが、「慰問」という言葉で表される通り、遠くから付き合いに行くと、身近には感じられないから、不自然な付き合いしかできず、続かないわけです。何も元患者だけでなく、僕の所に来られるヘルパーさんも近所でないと続かないわけです。往復の時間的なロスの他、遠くだと僕の事を身近に思ってもらえず、介護にもならないと。地域性は大切ですね。 FIC
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Posted by ゃはねのは at 19:06Comments(0)

2017年10月23日

写真を撮っても

それとは別の話だが、私は写真を撮ることが趣味の一つで、年に何度か安いビジネスホテルに宿をとり、一人で少し遠くまで風景写真などを撮りに行くことがある。

これが私にとっては楽しみなイベントで、今年の八月にもいつものようにホテルに宿をとり、撮影に出かけてきた。

 
その日の天気は、前日の予報では曇りのち晴れで、最高気温は33度になるということだった。

33度で長時間の撮影はきついか、と思ったけれど、あまり時間をかけず少し早めに切り上げれば大丈夫だろうと、午後ホテルにチェックインした後早速撮影に出かけたら、急に予想外の激しい雨が降ってきた。

しばらくして雨はやんだが、その雨の影響で、午後の外の気温はただでさえ33度もある上に、湿度が100%近い状態になり、写真を撮ろうと外を歩いていると、今まで味わったことがないほどの不快な蒸し暑さに。

次第に熱中症の手前のような状態になってきて、これ以上歩くのは危険と判断し、まだほとんど写真を撮ってもいないのに、やむなく撮影を中断することにした。

この日のためにわざわざ宿までとり、お金も時間もかけて来たのにほとんど何も撮れなかったなんて、いったい何しに来たんだ、とがっくりと落ち込み、しかたなくとぼとぼとホテルの部屋へと帰った。


その夜、いつもならホテルの部屋でその日撮った写真の編集をするのだが、その日はやることもない。

しかたなくテレビをつけると、普段ほとんど見ることがない民放のチャンネルで、ロンドンの世界陸上のマラソンを放送していた。ちょうど、公務員ランナーとして有名な日本の川内優輝選手が走っているところだった。

川内選手は、普通ではないほどきつそうな表情をしていた。

マラソンの選手でこんなにきつそうな顔をして走っている人をかつて見たことがなかったので、(大丈夫だろうか。死んでしまうんじゃないか)と思ったが、CMになったので何となくチャンネルを変えた。

チャンネルを変えると、ちょうどダウンタウンの松本人志氏たちが、外の暑い中をロケでだるそうな雰囲気でだらだらと歩いているところだった。

それをぼんやりと見ていたら、驚くほどやる気のない様子で歩いていた松本氏が、ふと

「おれ、今アイスコーヒー飲めへんかったら死んだ方がましやわ」

というような発言をした。

それが、尋常でなく面白かった。

つい先ほど川内選手が死ぬほどきつそうな様子で走っていたのに、それとのギャップが可笑しくて、思わず声を出して笑ってしまった。


翌日の午前中、チェックアウトしようとホテルの部屋を出て、フロントのある階へ行くエレベーターを待っていると、他の部屋から同じくチェックアウトするために出てきた一人の若い女性と鉢合わせた。

こうやって何度かホテルに泊まっているけど、他の部屋に泊まっている人を見かける機会が今までほとんどなかったので、珍しいなと思っていたら、さらにもう一人、別の女性が他の部屋から同じように出てきた。

その43歳くらいの女性は、私たちに気づくと「あら」という表情をして、急にそわそわし出した。あまり、自分の姿を見られたくないというような様子だった。

結局、私を含めて合計三人で、黙ってエレベーターに乗ってフロントに向かうことに。

43歳(推定)の女性は、エレベーターの中でも終始落ち着かない様子でそわそわしていた。

その、同じホテルに昨夜一人で泊まっていた見ず知らずの者同士でエレベーターに乗っている時間と、43歳(推定)の女性の異様な焦りようが、何だか妙に可笑しかった。

そのあとホテルから帰宅する途中の電車に乗っていたら、隣に座った5歳くらいの女の子が、「自力でジャンケンに勝ちたい」「自力で~」と、やたらと「自力」という言葉を連発していた。いったいどこで覚えたのか。


結局、メインの目的であった写真はほとんど撮れなかったものの、変な所で面白いことが色々とあった小旅行だった(ここに書いていない個人的に面白かったことも、まだいくつかあった)。

冒頭のドキュメンタリーを見た時もそうだけれど、そういう本筋とは関係ないどうでもいいようなことが案外面白くて、いつまでも記憶に残っていたりするから不思議だ。

面白さというのは、本筋やメインの場所にあるとはかぎらない。
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Posted by ゃはねのは at 16:10Comments(0)ひねは

2017年09月04日

風景を眺めた

子どもの頃は田舎で育った。
だから、周りは山や川ばかりだった。
けれども、山や川のある風景をじっくり眺めたことはなかった。
いつも山の中にいた。あるいは川の中にいた。つねに自然の風景の中にいた。風景を外側から眺めることはなかったのだ。

すばらしいとか、美しいとか、感嘆の思いで風景を眺めた初めての経験は、いつだっただろうか。
たぶん、青年期が始まろうとしたときではなかっただろうか。田舎を抜け出して都会で生活を始めて、自然というものから遠ざかっていた時期のあとに、ふたたび山や川のある風景に接した、そのときはじめて、自然の風景というものを意識したと思う。
自然から抜け出したあとに、自然というものを客観的に眺めることができたのだった。そのときから、山や川や木々を風景として意識しはじめたともいえる。

犬は風景を見ない――と述べられているのは、赤瀬川原平の『四角形の歴史』という本で、とても興味深く読んだ。
「風景は犬の目に入っていても、犬の意識には届いていない。つまり犬の頭は風景を見ていない」という。そして、人間も昔は風景を見ていなかったという。
ちょうど、ぼくらの子ども時代と同じだろうか。必要なもの、すなわち人物や建物や動物などの、物しか見ていなかったのだ。

このことは、絵の歴史を振り返ればよく解るという。
古い時代の絵は、動物や弓などが壁や土器に描かれていた。その頃は、人間の目は犬の目と変わらなかったのだ。
風景画というものが登場するのは、モネやゴッホといった印象派の画家以後らしい。
キャンバスに絵を描くようになり、四角い画面を持つようになって、人間はそこに描かれた物のほかに、余白というものがあるのを知り、その余白というものを通して、初めて風景の存在を知り、それを絵の中に取り入れたのではないかという。

もっと古くは、「人間がおずおずと住居を建てて、その住居の壁におずおずと四角い窓が開けられたとき」(同書)ではないかと。
住居の窓も四角いフレームだったのだ。そして、この窓から見たものが、人間がはじめて見た風景ではないかという。おそらくは雨の日に、ぼーっと窓の外を見ていた。仕方なく、目的もなく見たものだった。風景はそんなところに在ったのだ。

よく見ると、自然界のあらゆるものは曲線でできている。いっぽう、今の人間社会はほとんど四角形でできている。この四角形の発見こそ、人類の考えの特許だという。
では、四角形というものはどうやって発見されたのだろうか。
物を蓄えることを覚えた古代の人間が、狭い小屋の中に貯蔵物を1列目2列目と並べていくうちに、スペースというものができ、そこから四角形の概念が生まれたという。物を整理するという行為から四角形と余白が生まれ、合理という考え方が生まれた。
「四角形は文明の基本となっていった」のだった。

「余白は無意味である。合理から生まれた四角形が、世の中から無意味を取り出したのは不思議なことだ」と、同書には書かれている。
さまざまな風景の中で、ぼくたちは意味がいっぱいの世の中に暮らしている。その反動として、ときどき四角形の外に、無意味の余白を求めたくなったりする。それが現代人にとっては、息抜きのようなものなのかもしれない。
それでは、風景を見ない犬には息抜きは必要ないのだろうか。
「(犬は)無意味を見て眠っている。犬はこの世にいる味だけを、味わっているらしい」という。
そういえば犬は、いつも穏やかな顔をして眠っているかな。


2017年07月28日

取り調べも受け

働き始めて数年のころ、立て続けにアンラッキーに遭った。

 歯医者に言われるがまま私は親知らずを抜いた。どれだけ痛いか知る由もなく。なので、抜歯した翌日は、血の味のする口で働いた。喋った。仕事場で泥棒に遭っていた私はその日、取り調べも受けた。喋った。

 身もココロもボロボロであった(´・ω・`)

 そして又、もう1本、親知らずを抜いた。今度は一針縫った。翌日は前回を踏まえて仕事は休みを取っていた。余裕かと思いきや、2日、3日――否、1週間、2週間? 痛みは延々と治まず、いつごろ完治したのか、記憶も曖昧だ……。ただ、働いていた。

 痛み止めを乱用しつつ(´・ω・`)

 この世に神も仏もないものか――弱ったカラダにムチ打ち働く私、〆に、インフルエンザにかかった。うつされた。貴女様は違うでしょうが、マスクもせず、手でふさぐこともせず、ひどい咳を容赦なく浴びせかけてくる顧客ってヤツめもいるのだ。大丈夫デスカ……。

 カオで心配してココロで嫌がって(´・ω・`)

 で、このアンラッキー3連ちゃんによって満足にご飯を食べれない日々の続いた私の体重は40キロ台半ばになっていた。 FIC
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Posted by ゃはねのは at 19:00Comments(0)

2017年07月10日

always wanted her to be like


Grey stubble covered his cheeks and the sagging skin beneath his chin. He did not look much like the wizards in Old Nan’s stories, but even so... “Could you bring back a man without a head?” Arya asked. “Just the once, not six times. Could you?” “I have no magic, child. Only prayers. That first time, his lordship had a hole right through him and blood in his mouth, I knew there was no hope. So when his poor torn chest stopped moving, I gave him the good god’s own kiss to send him on his way. I filled my mouth with fire and breathed the flames inside him, down his throat to lungs and heart and soul. The last kiss it is called, and many a time I saw the old priests bestow it on the Lord’s servants as they died. I had given it a time or two myself, as all priests must. But never before had I felt a dead man shudder as the fire filled him, nor seen his eyes come open. It was not me who raised him, my lady. It was the Lord. R’hllor is not done with him yet. Life is warmth, and warmth is fire, and fire is God’s and God’s alone.” Arya felt tears well in her eyes. Thoros used a lot of words, but all they meant was no, that much she understood. “Your father was a good man,” Lord Beric said. “Harwin has told me much of him. For his sake, I would gladly forgo your ransom, but we need the gold too desperately.” She chewed her lip. That’s true, I guess. He had given the Hound’s gold to Greenbeard and the Huntsman to buy provisions south of the Mander, she knew. “The last harvest burned, this one is drowning, and winter will soon be on us,” she had heard him say when he sent them off. “The smallfolk need grain and seed, and we need blades and horses. Too many of my men ride rounseys, drays, and mules against foes mounted on coursers and destriers.” Arya didn’t know how much Robb would pay for her, though. He was a king now, not the boy she’d left at Winterfell with snow melting in his hair. And if he knew the things she’d done, the stableboy and the guard at Harrenhal and all “What if my brother doesn’t want to ransom me?” “Why would you think that?” asked Lord Beric. “Well,” Arya said, “my hair’s messy and my nails are dirty and my feet are all hard.” Robb wouldn’t care about that, probably, but her mother would. Lady Catelyn Sansa, to sing and dance and sew and mind her courtesies. Just thinking of it made Arya try to comb her hair with her fingers, but it was all tangles and mats, and all she did was tear some out. “I ruined that gown that Lady Smallwood gave me, and I don’t sew so good.” She chewed her lip. “I don’t sew very well, I mean. Septa Mordane used to say I had a blacksmith’s hands.” Gendry hooted. “Those soft little things?” he called out. “You couldn’t even hold a hammer.” “I could if I wanted!” she snapped at him. Thoros chuckled. “Your brother will pay, child. Have no fear on that count.” “Yes, but what if he won’t?” she insisted. Lord Beric sighed. “Then I will send you to Lady Smallwood for a time, or perhaps to mine own castle of Blackhaven. But that will not be necessary, I’m certain. I do not have the power to give you back your father, no more than Thoros does, but I can at least see that you are returned safely to your mother’s arms.” “Do you swear?” she asked him. Yoren had promised to take her home too, only he’d gotten killed instead. “On my honor as a knight,” the lightning lord said solemnly. It was raining when Lem returned to the brewhouse, muttering curses as water ran off his yellow cloak to puddle on the floor. Anguy and Jack-Be-Lucky sat by the door rolling dice, but no matter which game they played one-eyed Jack had no luck at all. Tom Sevenstrings replaced a string on his woodharp, and sang “The Mother’s Tears, ““When Willum’s Wife Was Wet,   


Posted by ゃはねのは at 18:29Comments(0)

2015年05月06日

年前だけど、保母の

安倍さんの米国議会でのスピーチが、ネットでも話題になっていたけど、スピーチって言葉の問題だけでなく誠意とか伝えたい事が重要なんだから日本語でやればいいのにと思った。いい通訳ときちんと打ち合わせして言葉の解釈に齟齬が無いようにすれば、某読みの原稿より伝わるだろうに。まぁ内容についてもトンデモなんでここでは言及しないけど。

 前にも日本語の話を書いてきて、日本語は世界でも稀有な言語だって思うのよね。言語学や専門知識は無くっても、日本で生まれ育ち、日常日本語で考え日本語ををつかって暮らしているし。

 梅親瓶が幼児向けの教材の仕事をなすっていて、その難しさや愉しさを話していらっしゃったけど、絵本を自作したり保母の仕事をしていたこともあって、日本語を身につける幼児期ってすごく大きな影響があると思うの。

 国語教育の問題って云うと話が難しくなるんだけど、教科書の検定や歴史認識問題とかね。

 30数年前だけど、保母の国家試験を通信教育で軽く通ってしまった頃、いい気になって小学校教師の国家試験を受けてみようと思った事があるの。そんで勉強してたら指導要綱を暗記しないとならなくて、それを読んでいたらもうむりぃーってなって辞めた。

 とても自分には理解出来ないし、国語教師への道は放棄した。小学校の時に教科書で読んだ作品って覚えているかなぁ。国語の教科書で記憶に残っているのは「走れメロス」とか宮沢賢治とか、漱石があったような気がする。

 こういう国語教科書の定番作品も時代と共に変わっていって、高校教科書では、今は辻仁成とか糸井重里、田口ランディ、恩田睦、石田依良氏などの作家も取上げられているようだけど。

 今、手元に本も無くって記憶だけなんだけど昔、「話の特集」で教科書裁判の後に、国文学者の家永氏の監修で小学生向けの国語教科書が出版されて、とても素敵な内容だったの覚えている。

 おはよう。って多分、いあわさきちひろさんの淡いイラストの女の子が最初の頁で、次々といろんな国の女の子がその国の言葉で、おはよう、おはようって言うの。韓国やアフリカやインドやさまざまな国の子供達が歩いていって、おはようって伝えていく。シンプルで判りやすく優しい気持ちになるような出だしでね。勿論採用なんてされなかったけれど。  


Posted by ゃはねのは at 18:27Comments(0)

2015年04月15日

言葉を使いま


最近右向きゃ多様化、左向きゃ多様化と人権を武器に騒いでますね。

まぁだからと言って私は別に多様化を否定したいわけじゃないです。

時代が変われば生き方が変わるのは当然だからそれを否定するのは無理があります。

ただ、どう考えても個人のわがままを多様化という言葉を使って法律まで変えさせるのはどうなんでしょうね。

それからこれも最近よく聞く言葉だと思いますが、働き方の多様化。

確かに女性の社会進出が進んだりして人々は多様な働き方を求めていると思います。

そこで働き方の多様化という言葉が出てきたらなんかいい感じがしますよね。

でも、起業して自分一人で働いてるなら自由に多様な働き方が出来ると思いますけど基本的に雇ってもらってる人にそんな自由ってあるんですかね?

そこで今日の題名に戻りますが、働き方の多様化は視点を変えれば働かせ方の多様化じゃないんですかね?

しかも問題は雇われる側と雇う側のどちらの力が強いかといえば完全に雇う側ですよね?

ということは働き方が多様化するのではなくて働かせ方が多様化するんじゃないですかね。

つまり例え働き方が多様化したとしても働き方を決めるのは雇われる側ではなく雇う側なのではないでしょうか。

ただ、それでも働き方、働かせ方が多様化するならまだマシだと思います。

なぜならそれは現実社会を見れば明らかで現在非正規がどんどん増えて4割を占めているらしいです。

実際は多様化するどころか一つの働き方、働かせ方に向かってます。

でもそれは当然で雇う側は利益を上げなければいけないわけですから多様な働かせ方の選択肢があれば一番利益を上げる働かせ方で雇うに決まってます。

つまり働き方の多様化を求めるということは一つの働き方しか出来なくなる危険があるということです。

ただ、これをインフレ期にやるならいいでしょう。

それは前にもこのブログで言いましたけどインフレの時は雇用がたくさんあるので企業も一つの働かせ方だけでは人が集まらないからです。

でも、これをデフレの時にやると他に雇用がないから一つの働かせ方をさせられてもそれに従うしかない。

その働かせ方とは先ほども言ったとおり一番企業の利益になる働かせ方なので簡単に言えば雇われる側の賃金が下がるということでそれはつまりデフレを悪化させるというわけです。

ということは久しぶりにこの言葉を使いますが、結局働き方というのは手段であって目的ではないということです。

つまり今まで働き方の多様化が悪いことのように私は書いていますが働き方が多様化すること自体は良いことでも悪いことでもないわけです。

ただし、そのことを分かった上で議論をしないと雇う側の立場が強いという事実がある限り不幸になるのは常に雇われる側なのです。
修養與禮貌
年少輕狂的青春
ぼうぼうにな
クは、ハクや母ち
に落ちたも
を口から奪いた
ラソンを5回走っ
キの中から白い
う。そういえば
かよ、いろいろ   


Posted by ゃはねのは at 11:16Comments(0)ker isgt

2015年03月24日

少し手順が狂っ


今夜は、無理でも無茶でもないと思う。たぶん。

今朝はそこそこの時間に起きた。腰の痛みが取れず、立ったり座ったりの動きに時間がかかる。

それで出社したから、遅刻ギリギリになった。

週明けの仕事の整理をしていると、上司から指示が飛んでくる。事務から、システムの切り替え準備ができたから、手順通りにパソコンの設定を各自でせよとのお達し。

そういう作業をしている最中に、仕事の指示が来る。パソコンの設定切り替えをやっているのに、ネットワークサーバに入っているファイルの更新をせよというのは、勘弁して欲しい。設定作業だけで一杯一杯で、ネットワークを見られるようにするのに、結構な手間と時間がかかるのだから。

事務所で一斉に作業したものだから、少し手順が狂ったら、みんなであーでもないこーでもないといじくり回して、収拾が付かなくなった。いったん設定を戻して、メール送受信、サーバへの接続、印刷ができないと仕事にならないので、そこは回復させた。

なんだかんだで、10時。そこから、みんまでメシを食いに行った。入った店が12時までで、ホントにメシを食っただけだった。

それというのも、転勤する人がいて、こちらでの出勤が明日で最後だから、今日はメシを食おうということになっていた。設定で10時までかかったのが計算外だった。

で、終電で帰ってきて、午前様。ダメージはないと思うのだけど。腰浜だ、痛い、な。。。。  


Posted by ゃはねのは at 15:24Comments(0)ひねは

2014年09月03日

現在の新極真


先日、ロシアで行われた柔道の世界選手権で、100kg超級銀メダルを取った七戸龍は、分裂前の極真会館全日本ウエイト制で四度も重量級を制している、あの七戸康博の息子さんなのだとか。

七戸康博は、初期のウエイト制で、重量級では無敵振りを発揮していたものの、無差別全日本では優勝経験は無い。巨体を利した典型的なパワーファイターだった七戸は、正面から真っ向ぶつかる重量級同士の闘いと違い、軽量級選手にはフットワークを使って自身の圧力をいなされ、毎回、体重判定で敗れてばかりだった。

しかし、現在と違って、分裂前の層が厚かった頃の極真で四度も重量級を制し、当時三強と呼ばれた黒澤浩樹にも勝っている、紛れもなく極真史に残る強豪の一人。(記念すべき、第一回ウエイト制重量級覇者と言う点でも)

そんな父譲りの巨体にも恵まれた息子の七戸龍が、何故、空手ではなく柔道の世界に進んだのか? 本来なら、あれだけの逸材で、しかも元・極真の怪物の異名を取った七戸康博の息子なら、現在はフルコン空手界のエース的存在として活躍していても可笑しくないはず。

父・康博は、大山総裁死去の後、現在の新極真会の母体となった協議会派に属したが、その後離脱。現在もどこかの極真会系組織に所属していたはずだが、昨今の分裂状態が酷く、細分化しすぎている為、松井派や新極真会以外の組織は正直僕も分からない。

御大層な道場訓を掲げ、「武道精神」だの「押忍」の心だのを強調しながら、全然耐え忍ぶどころか、小さな個人的感情や損得勘定で組織の分裂を繰り返す始末。父・康博は、そんな組織闘争の渦中にありながら、息子にはこんな未来の無い空手界よりも、組織がしっかりしている柔道界の方を選ばせたのかもしれない。  


Posted by ゃはねのは at 19:09Comments(0)ker isgt

2014年05月16日

僕等がいた


暖かくなったり寒くなったり強風が吹いたり雨が降ったり地震があったり。

ネットから離れてはいないけれど、すっかり受け身になってしまってじぶんから言葉が出てこない。そういうときはとりあえず書いてみるのがいいはずなので書くなり。

ここ数日でレンタルDVDを8作も観た。『僕等がいた』の後編もやっと観た。どうせイケメンを集めた「いい話」になってるんでしょうとたかを括っていた『僕たちは世界を変えることができない』が思いの外よかった。ポルポト政権下のカンボジアのこと、知らなかったことを一緒になって恥じた。

googleリーダーのサービスが7月に終了するとのこと。便利に使っていたのにどうしようと、いくつか他のリーダーを試す。内容はgoogleリーダーからまるっと全部インポートできても、改めて見れば既に更新されていないサイトや関心をなくしたサイトもあるわけで、そういったあれやこれや今まで放っておいた引き出しの整理をするようなことが、ただ単になにかを捨てたり失くしたりではなく新しい何かに繋がっていけばいいのだけれど。

髪を切ったので首元がスウスウしている。
もちっと元気だそう。「私は私よ成分」が足りん。The last meet
灑脫的心境
流年中的往事
靑色の記憶
夢の中の憂鬱
shangniki
wenieri
The beautiful terrace
kweini
淺い思い出

  


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